明智かめまる

あ行京都府

プロフィール

明智かめまるとは・・・

亀岡市の観光全般をPRしているキャラクターである。

天正6年(1578年)、明智光秀によって築城された丹波亀山城。ある日、お城の内堀に、光秀の娘・玉子(後の細川ガラシャ)が誤って落ちて溺れていたところを、堀に住んでいた亀が助けました。
光秀は、たいそう感謝してその亀を「明智かめまる」と名付けて家来にし、とても可愛がりました。
明治11年(1878年)頃、丹波亀山城は政府により解体され、現在は内堀が南郷池として残り、城跡には苔むした石垣がひっそりとたたずんでいます。
城主亡き今も明智かめまるは、甲羅を兜に日々武道に励み、丹波亀山城跡を守っています


ご当地紹介

京都市の西となりに位置する亀岡市は、隣接する京都市と交通網で結ばれ、また大阪府とも隣接しており、暮らしや経済はもちろん、観光にも便利なまちです。
豊かな自然が育んだきれいな地下水を水道水に利用するなど、美しい自然とおいしい水のある健康のまちです。
京都・嵯峨からの観光トロッコ列車や、嵐山へ急流を一気に下る保津川下りのどきどき「ホット」はもちろん、京都の奥座敷としての湯の花温泉での「ほっと」もあるまちです。
亀岡市は、京に都が置かれる以前の奈良時代から豊穣の地として注目され、足利尊氏や明智光秀は丹波・亀岡の地から動き、日本の歴史を変えていきました。
亀岡市は、古都・京都よりも歴史が古く、また歴史の変革期に動いたまちです。